どうも、釣り人の有馬です。
今回は、釣りというよりは、釣り場(付近)にまつわる歴史について少し書いてみたいと思います。
ちなみに、僕は歴史が得意な方ではないので、気になったら正しい情報を入手してください。
鷲ノ巣川(わしのすがわ)
鷲ノ巣川は岩手県西和賀町の南側にある和賀川支流です。ただ、僕の中では和賀川はガソリンスタンド(川尻石油)近辺が最下流域で、そこから南側は錦秋湖(きんしゅうこ)と認識しているため、和賀川支流というよりは、錦秋湖に流れ込む川と思っています。
地図を貼っておきます。
さて、この鷲ノ巣川ですが、2015年から年に2回程度釣行している川になります。
2019シーズンは、1回釣行してボウズという記録でしたが、岩魚を中心にぼちぼち釣れる川です。
下流域では、ウグイが混じり、山女魚は一度も釣れたことが無いです。
釣果的に言えば、まぁぼちぼちなのですが、渓相が好きで年に数回通っている状態です。
2018年5月に撮影した写真です。
2016年4月の写真です。
はい、ここまでが川の紹介でここからは、この近辺の歴史について紹介していきます。
鷲ノ巣鉱山跡
僕が、この川に興味をもった理由は、渓相以外に鷲ノ巣鉱山跡の風景にあります。
最初、見た時は歴史を全くわかっていなかったので、なんか魅力的な山だなぁと思っていました。
で、釣行と、この風景を撮る半々の理由で出かけていました。
こうして、歴史を全く知らずに2シーズンくらいは過ぎたと思います。
で、ある時、今までとは別の区間を釣って車まで歩いて戻る途中で、この付近に関する歴史の看板を目にしました。
そこで、自分が如何に無知だったのか思い知らされたわけです。
奥州藤原氏
さて、ここ1週間ほど調べていた浅めの知識で歴史について書いていきたいと思います。最初にも書きましたが、歴史は得意ではないので興味をもった方は、キーワードを参考に深掘りしていってください。
まずは、奥州藤原氏についてです。
初代 藤原清衡(きよひら)、二代 藤原基衡(もとひら)、三代 藤原秀衡(ひでひら)、四代 藤原泰衡(やすひら)。
この四代、1087年あたり~1189年あたりの約100年が藤原氏栄枯盛衰の時代になります。
で、この中で一番目立っているのが三代 藤原秀衡の時代です。
初代、二代と文化を作り、地位も高かったわけですが、秀衡は、陸奥守(むつのかみ)という今でいえば、東北六県のトップの位に就き、先代の文化をさらに拡張したような人物だったようです。
この辺の詳細は、平泉のホームページなどを参照してください。
繁栄と黄金文化
ここからは、僕の妄想と想像の入った話になるかと思うので参考程度にしておいてください。
戦の絶えない中、平和な世の中を作ろうとした初代 藤原清衡から三代 藤原秀衡の流れの中で、独自の発展を遂げることになります。
元々、有能な一族であったことは間違いないでしょうが、それだけではこの時代に独自発展することは難しかったと思います。
やはり、中立的な悪く言えばどっちつかずな位置を目指すには、中央に敵と思われず、かと言って必要以上に近しいとも思わせない距離感が大事だったのかなと僕は思っています。
そうなると、独自で財力が必要になるわけです。
平泉の周辺の山々には、良質な金山があり、この金により黄金文化を築いたとされています。
秀衡街道
ふー、慣れないことを書くと疲れますね。
ここからラストスパートです。
僕の地元である岩手県西和賀町は、平泉の少し北側に位置しています。
そして、黄金文化を築いた文字通りの金が、この地でも採れたんですよね。
で、その金の輸送に使われていたルートを「秀衡街道」と呼んでいるようです。
秀衡街道は、陸奥国(むつのくに)と出羽国(でわのくに)を結ぶルートで、現在で言えば、岩手県平泉町から北上市→西和賀町→秋田県横手市を通る道です。
そのルート上にあったのが、鷲ノ巣金山(鉱山)だったんですよね。
なぜか魅力を感じたのは、この歴史がそうさせていたのかもしれません。
ここ1週間くらい、この時代のことを調べていたのですが、歴史は面白いですね。学生の頃は、暗記だけで来たので、あまり興味がわきませんでしたが、年を重ね、その時代の意思決定とその結果とか興味深くみれるようになったみたいです。
例えば、四代 泰衡の決断とその結果なんかは非常に考えさせられます。
ということで、2020シーズンは釣りだけではなく、その土地の歴史なども学びながら楽しめたらいいなと思っています。